6.何も悪いことしてないのに神社建築での事故
平成3年影山組は平沢村内の神社建築工事を請け負いました。
神社はすべて青森ひばを使用する事となり、私は直接に下北半島の材木屋に行き材木一式を契約、工事は順調に進んでいきました。
屋根の型板を小型2トン車につけて青森の材木屋に向かいました。小雨降るみちのく有料道路にさしかかった早朝、大自然の絶景に見とれ、直線なのになぜか急ブレーキをかけてしまった。車はスリップを始め、止まらない。これでは対向車を巻き添えにしてしまうと判断。車を側溝に斜めに落としました。車は縦に空中一回転宙返りして止まりました。
二人は救急車で病院に運ばれました。私はまぶたを12針縫い、左肋骨2本が折れていました。妻も全身を強打。右腹部の肋骨2本折りました。警察官がこられ、病院で取り調べを受けたが、担当した警察官から「あなた達は神かがりだね。即死してもおかしくない状態でしたよ」と言われました。医師からは1ケ月の入院加療を言い渡されました。
しかし病気の母と住み込み見習い5人さらに子供3人を待たせたままです。そして何より20日後に知人の結婚式の媒酌人を務める事になっていて気ばかりあせって養生している心境になれず、医師を説得して4日目に材木店の社長に盛岡駅まで送っていただき、新幹線を乗り継ぎ必死の思いで三春に戻りました。
全身が特に頭が痛くて眠れぬ夜が続き、帰宅3日後の午後5時半頃「お前を助ける水、お前を助ける水」と言う声が聞こえました。そのときに見習い生5人が帰ってきて、社長身体どうですかと言います。
井戸に水があるか見に行かせると、「水がある」といいます。見習い生達は水を風呂に運びこれを沸かしてくれました。
私が入ったら全身から泡が吹き出ししばらくすると痛みが除々に薄れてきました。
妻も同じだったと言いました。1日に5回も入りました。結婚式で気になるまぶたの傷口。タオルで蒸かしていたら2日後鏡の前でおそるおそるガーゼをはがすと、傷はきれいになっていました。私は喜びいっぱいで「治った」と家族も驚くほどの大声で叫びました。
そして、6月8日の結婚式で無事媒酌人の大役を務め上げました。私たちは安堵感につつまれ、生涯忘れ得ぬ結婚式となりました。
7.やわらぎの湯 開湯
事故の話が新聞のコラム欄に掲載さました。再び「不思議な水」の効能が地域に広がっていきました。
朝から晩までお見舞いやら問い合わせの電話、さらには入浴を求める人達の対応にてんやわんやの日々が続いた。母親は病気の身体にむち打ち風呂炊き専門になってしまった。井戸にはポンプを備えて蛇口をつけたので誰でも自由に持ち帰ることが出来るようになりました。
そのうちに「無料ではお願いしにくいので有料にして下さい」「浴場をつくって下さい」という声がどんどんと高まって来ました。そんな折り、私の使っていた真っ白な手ぬぐいが薄いピンクの蛍光色に変わり、不思議に思い地域の役所に持参した所、傷口の治り具合が早いことなどを総合判断して「これはラジウム泉に違いない」そして「温泉を作り人助けをしたらいい」と役所より勧められたのです。
だが私は、見習い生を育て日本古来の在来木造建築を後世に残す義務がある。私は悩みました。
だが「あなたの決断で多くの人々の病気が治るかもしれないんですよ。難病で苦しんでいる人を助けることが出来るかもしれないんですよ」という周囲の人達の声にそうか、それでは星先生に私の運勢をさらに温泉を作った方がいいのか、作らない方がいいのか、占ってもらうことにしました。
先生の自宅に伺いました所、私が先生と玄関先であったとたん真っ先に早く温泉作りなさいよ、社長、もし温泉を世に出さないと又事故を起こしますよ、でも命は取らないけどね、良く考えてみな、この間の事故。目をつぶさなかったでしょう。すれすれで止まっている。足は怪我させなかったでしょう、だから歩いて帰ってこれたのです。易を立てる必要はないから早く工事を進めなさい、と言われ帰ってきました。それでは小さな風呂を作って皆さん方のお役に立ちますか、と言うような軽い気持ちでやわらぎの湯を作ったのです。
でも予想したようにその負担は私の妻に掛かってきました。
つまりお客さんが多くなればなるほど従業員だけでは難しくなったのです。それは難病をお持ちのお客さんは、早く治りたい一心で時間を守らず、湯船に漬かりすぎます。ラジウム放射線は電離作用を起こしている関係なのか、すごく暖まります。そこで脱衣室で倒れる方が多くなったのです。妻は救急介護さらに救急車の要請やらで大変になりました。
私はその姿を見るに見かねて、救急隊の方に再三再四迷惑をおかけし申し訳ないので、温泉をやめようかと思うんですと言いましたら、社長さんとんでもない、やめないで下さい。私たちは仕事ですから。藁をもつかむ思いでこの温泉に遠方からこられているお客さん達の声を良く耳にします。
やわらぎの湯に入ったら難病という病気が良くなった、歩けるようになったと。この方達のために奥さん大変かもしれませんが頑張って下さい。私どもは要請あればすぐに飛んできますからと言われ、続けることにしたのです。
8.着物を着て入れる風呂の要望
ある時乳ガンの方が、温泉に入るとき傷を見られたくない、見せたくないということから傷を隠すために手拭いをかけて浴槽に入ったのです。所が、常連さん達から「手拭いを掛けて入ってはいけない」と書いてあるでしょう、字が読めないのかと罵声を浴びせられ、癌でショックを受けていたのにさらに罵声を浴びせられ、何とも言えぬ心境で妻に、着物を着て入れる風呂を何とか作って下さいと言って帰られたと聞きました。
その方は私の中学校の恩師でもあり、卒業後も大変お世話になっている方でした。でもいくら言われても温泉に着物を着てはいれる風呂、これは出来ません。又、私が夜遅く温泉に入りに行くと、常連さん達がまだ帰らずにおられ、浴槽の縁に腰掛け世間話をしていました。
私も仲間入りして話しに花を咲かせていると、静かに入り口の戸が開きました。見ると全身アトピーの青年でした。顔は吹き出物でいっぱい血が吹き出しています。全身同じ状態でした。
私は「アトピーはうつらない」と念じていましたが、青年は私の脇を通って浴槽に入りました。そのとき私の身体は自然と横に倒していたのです。私は悪いことをしたと思いました。帰りに青年はフロントにいた妻に「社長に着物を着て入れる風呂を作ってくれるように頼んで下さい」と言って帰られたと聞き、私は本当に悪いことをした、何とかしなければという責任感にとらわれました。
そこで簡単な方法はもう一つ風呂を増やすこと、これならばすぐにでも出来ると言うことで計画を立てました。ところが朝起きようとすると「人を差別することになる、作ってはならない」という声が聞こえました。
そこですぐに社員達に話し、増設は中止することにしました。
9.岩磐浴場開湯(やわらぎ岩磐浴場)
自宅前の山を28メーターほど切り下げ、平成元年に影山組の事務所を新築しました。その後現場に必要な土砂を削り取り、請負現場に運びました。それから8年が経過しました。
ところが、ある朝早く切り土した中段の所に不思議に苔が生えているのが目にとまりました。不思議に思いやわらぎの湯には放射線探知機があるので、早速苔のはえているところに探知機を当てて見ると、なんと自然放射線の4倍のラジウム放射線を感知したのです。
私はこれで皆さんの望んでいる着物を着て入れる浴場が出来ると確信をしたのです。
そこで早速このことを社員に話すと社員達は「社長またかい」と言ってそっぽを向き、係長が話しを始めた。「社長いま町の人達は影山組の事なんと言っているのか分からないのですか。建築屋が風呂を作って金儲けをしていると言われ我々肩身が狭い思いをしているんです。わからないんですか」と言われ、社員達に迷惑かけてまで着物を着て入れる風呂を作ることもないと断念してしまいました。
次の日の朝、起きる寸前に又声が聞こえた。「山を削り取れ。そして着物を着て入る風呂」という。私は困ってしまいました。でも一応社員に話しをしてみましたが取り合ってくれず、仕方なく自分でやるしかないとバックホーにまたがり掘削を始めました。
社員達もみかねて手伝うことになりましたが、おもしろくないので一向に仕事ははかどらない。これでは3ケ月かかるのではないかと思いました。
そして大型重機を入れて3日目の時、土の色が真っ白になったと報告を受け、4日目の時土の色が黄色に変わったと報告を受けました。
ここは火山帯ではありません。なぜ火山灰のような白、そして黄色に変色していくのか不思議に思いながら放射線探知機を持参し、山に登りました。放射線探知機で測定すると自然放射線の4倍から5倍の数値が全般的に確認され社員達にも数値を確認させ、「これで大勢の人を救うことが出来る。今年の社員旅行はシンガポール」と言いました。社員は「社長ほんとですか」と言いました。
大勢の人を救うことが出来るのだから、今年の旅行はシンガポールと大声で言いました。社員達は夢に見ていた外国、シンガポール、そして、大勢の人に喜んで頂く事の出来る喜び、そして笑顔、さらに希望。それから社員達は一身不乱に頑張り、半月で予定の高さまで切り下げました。その間、岩磐は全般的に赤茶色・緑の帯状コバルトブルーの石黄色、そして白色とまばらであったが、五色の色で構成されていて、全般的に放射線が放出していました。
鉱石が長い年月を掛けて放射線をあびているとハロ現象を起こし変色するとある文献に書いてありました。岩磐浴場の放射線量については、現場に放射線探知機を直接入れて測定し、写真にて紹介させていただきます。
ここで考えられることは、人間は夢と希望を持つと自分の持っている力以上の力を発揮することが出来るという事を教えられたのです。